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2006年1月30日 (月)

#6 パン・ド・シュークル -前編-

職人でありながら芸術家のような、開かれた知性を感じさせる

Paindesucre1  以前、パリの三ツ星レストラン「ピエール・ガニェール」へ、何度か取材に行ったおり、デザートの撮影時に必ず皿を組み立て、立ち会ってくれたシェフ・パティシエがいた。インタビューは、ガニェール氏にするため、そのパティシエと言葉を交わすことはほとんどなかったが、私はほぼ瞬間的に、その彼に恋してしまった。見かけとか、そういうことではなくて、彼の目を見ただけで、まるで世紀のカレームやエスコフィエ、はたまたルノートルなど、その名を後世に残した才能ある料理人やパティシエに対してきっと感じるような、職人でありながら芸術家である、開かれた知性に出会ったような気がしたのだ。

 名前はディディエ・マトレ。90年には当時サンテチエンヌにあったピエール・ガニェールのパティスリー部門に配属し、93年にはシェフ・パティシエに就任。三ツ星になったばかりのガニェールの才気漲るクリエイションを支えてきたのだった。

 96年のパリ進出の時も、もちろん一緒に立ち上げた。ロンドンのアネックス店「スケッチ」のパティスリー・デザート部門を取り仕切ってきたのも彼。ガニエール氏から多大な信用を得てきたのである。
 
 それから、あるフランス人のジャーナリストから、ランビュートー通りにすばらしいパティスリーがオープンした、と聞いた。なんでも、ガニェール氏のもとで長年シェフを務めてきたパティシエがオープンしたらしい、と。もしかして、あのパティシエではないだろうか、と胸を高まらせて店に赴いた。

 ところが、初めてその店に訪ねた日、お店は閉まっていた。エントランスに、“火、水は休み”と書いてある。その日は火曜日だった。以前パン屋だった店をそのまま引き継いでパティスリーにしているのか、店の外観からは、あのクリエイティヴィティに溢れた作品を出す店とは思えず、半信半疑のまま、また別の日に訪ねることにしたのである。
 
 やっとオープン日にその店へ。店内には、ガニェール時代とは違った、より自由な笑顔を浮かべたディディエがいた。
 
 店は、彼の公私ともにパートナーであるナタリー・ロベールと共同経営で立ち上げていた。ナタリーも、一足先に退職したディディエの後のガニエールのシェフ・パティシエを務めた実力の持ち主。太陽のようにあたたかな笑顔と、好奇心一杯のクリクリとした目は、人の心をいっぺんで癒してくれるような魅力がある。

 もちろんパティスリーも、一目でモダンで洗練された味わいを予測できるような、斬新なパティスリーばかり。しかし、初めての店を判断するときは、まずクラシックを食べてみる、という基本に従って、その日選んだのはレモンタルト。これが、何ともいえずおいしかった。絶妙な厚さに仕上げられたタルトは、焼き上がったときと同じ、カリッとしたテクスチュア、こうばしさを保っており、クリームはレモンが迸るフレッシュな味わい。どんなホテルレストランでも出会ったことのない、洗練されたフレッシュな味わいだった。聞いたら、タルトにはホワイトチョコレートを薄く塗っているのだそう。ブール・ド・カカオは、タルトにアパレイユの水分をしみ込ませることなく、味わいにも影響をもたらさない。さすが、と、膝を打ったのである。


Pain de Sucre
14 rue Rambuteau 75003 Paris
Tel:01.45.74.68.92(国番号33)

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2006年1月26日 (木)

#5 シュクレ・カカオ -後編-

パティスリーにおける日本とフランスの結びつきは、男女の関係に通じる?

Sucrecacao2 ジェームスは、ここで告白してしまうと、日本人、とくに日本女性が大好きだ。フランス女性はアグレッシブで、それはそれで好きだそうだが、日本女性は、とても静かで優しいから、心地よいのだそうだ。それに、いざとなったら日本の男性よりも底力を見せるような強さがある、と絶賛する。

 今回の取材で、「パティスリーにおける日本とフランスの結びつきについてインタビューしたい」と彼に言うと、すかさず「フランス男性と日本女性の愛の関係ではなくて?」と返された。それから、「パティスリーにおける日本とフランスの関係は、男女の関係のようなものだよ」と、大まじめに念を押された。よくよく考えてみたら、案外当たっているのかもしれない。味わいも食感もコントラストのはっきりしたものを求めるフランスのパティスリーに、繊細なニュアンスのある日本の素材がしっくりとなじむといった意味で。
 
 ジェームスは、日本の素材を取り入れることに関して、障害はまったく感じていないと言う。「ピエール・ガニエールやアストランスのパスカル・バルボーが、自分の世界を表現するために、皿に日本の素材を取り入れるように、料理、パティスリーの世界に“禁じ手”はないんだよ」と言う。店には女性客も多いらしく、女性は男性に比べ、新しい味わいの好奇心も強く、ジェームスが創る新しいパティスリーにも臆せず挑戦してくれるのだそうだ。クリスマスには、塩味のブッシュを何種か作ったが、そのうちの一つにはワサビの味わいを効かせ味にしていた。フォワグラとアスパラガスを、ワサビと香草風味のビスキュイ生地に閉じ込めたのだ。大変評判がよかったようで、私が訪れたときには残念ながら、すでに売り切れてしまっていた。

 4、5年前からスペシャリテとなった、5月に出す「Zen」は、ジャームスが5年前にデモンストレーションのため京都を訪れた時に、創作したパティスリーだという。日本の桜にオマージュを捧げた、繊細な作品だ。アーモンドのダコワーズ生地をベースに、グリオット(サクランボウ)のコンポートを抹茶のムースで覆ったもの。甘酸っぱいグリオットの味わいを、抹茶の落ち着いた渋みのある味わいが包み込んでくれるよう。また、秋のパティスリーの一つには、「Shiso」がある。紫蘇の香りを閉じ込めた洋梨をピュレにしムース仕立てにしたものを、ワサビをほんの少し効かせたビスキュイ生地にのせ、さらに洋梨のポワレで覆った、すばらしいハーモニーの逸品だ。

 尽きることのないイマジネーションを、惜しむことなくみせてくれるジェームスの源は、誰にものぞくことができない。彼の中だけにあるのだから。


*写真はジェームスのガレット・デ・ロワ。砕いたアーモンドの歯ごたえが残るフランジパンと、軽やかなフィユタージュ生地のハーモニーで、パリでも5本の指に入るおいしさだと思う。クラシックを知るからこそ、創造性豊かな作品を作ることができる、ということを納得する一品。

Sucré Cacao
89 av. Gambetta 75020 Paris
Tel:01.46.36.87.11(国番号33)

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2006年1月23日 (月)

#5 シュクレ・カカオ -前編-

クラシックに裏付けられたクリエイション

Sucrecacao1
 1970年代のパティスリー界を支えた「ペルティエ」のオーナー、ムッシュ・ペルティエのもとで育ったパティシエは数知れないが、若手のシェフでその薫陶を受けた人物といったらジェームス・ベルティエだろう。クラシックを継承しながら進化を続けるという意味で、本当にパリらしいパティスリーを創ることのできる人だと思う。
 
 99年に、マダム・ペルティエの後ろ盾で店をオープンしたが、一昨年から独立。小さな店でしかも個人店、20区という少々パリの中心から離れたところで、独創性のあるパティスリーを出していくことは並大抵なことではないと思うが、「シュクレ・カカオ」の場合、お客がしっかりついてきているな、というのをいつも感じることができて、嬉しくなる。
 
 それはきっと、どんなに新奇性溢れる組み合わせのクリエイションでも、しっかりとしたクラシックに裏付けられた作品であるのと、美しいもの、おいしいものを心から愛するジェームスならではの世界に包有されているのとで、確かな説得力があるからだろう。
 
 以前彼がホテル・ムーリスのシェフ・パティシエをしていた時、ホテルのサロン・ド・テのメニューに、クラシックな一皿、クレープ・シュゼットを加えたのだったが、それはそのサロンのエンブレムとなるほどの、食通たちを唸らせる洗練された味わいだった。今でも、その味を懐かしそうに話をするグルマンたちがどんなたくさんいることか。

 そんなジェームスのアトリエを訪ねると、いつも数名の日本人の研修生がいる。ジェームスは表向きはとてもソフトで冗談を飛ばすのが大好きな人好きするタイプだが、いったんアトリエに入れば、正確な仕事をとことん要求する、大変厳しい人だと聞く。仕事が丁寧で正確な日本人研修生は、彼にとってなくてはならない存在なのだろう。

 そんな研修生の一人で5年前に働いていたヨコザワ・タカシさんが仲立ちとなって、抹茶をジェームスに紹介したのが、日本の素材への興味を開くことになったそうである。ポルト・ド・ヴェルサイユで開かれた初めて開催された「サロン・ド・テ(お茶の見本市)」で、日本のお茶の生産者と知り合ったのがきっかけだ。抹茶の若草を刈ったときのような香り、ホウレン草のような若々しい緑の香りに突き動かされて、抹茶風味の板チョコレートを作った。ホワイトチョコレートベースに抹茶を合わせるまでは万人的な発想だが、それに砕いたアーモンドを加えたのはさすがジェームスだ、と唸らせられる。抹茶のすがすがしい香りが鼻に抜け、歯ごたえも味わいもこうばしいアーモンドが、上品で洗練されたアクセントとなる、傑作といってもいい。

Sucré Cacao
89 av. Gambetta 75020 Paris
Tel:01.46.36.87.11(国番号33)

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2006年1月19日 (木)

#4 ジャン=ポール・エヴァン -後編-

Hevin2  前編でもお話したような、妥協を許さないジャン=ポールが、柚子の香りに魅せられたのは、初めて日本にショップをオープンした頃で、この香りをいつかチョコレートに掛け合わせてみたいと思い描いたそうだ。

 その後、何回か雑誌の取材をしたことがあったが、その度に柚子の香りのすばらしさ、チョコレートとの配合の難しさを語っていて、何度も試作を繰り返しては、なかなか思い通りの味わいにならないと漏らしていた。

 それから3年。2005年のクリスマスに「ミニュイ」との名で登場。日本語では“深夜”という意で、やっと辿り着いた完成品に、密やかな思いを込めたのだろう。フレッシュな柚子の搾り汁を和えたマジパンを、軽いキャラメル仕立てにしたペーストに、ミルクチョコレートのガナッシュを重ねた二層を、ブラックチョコレートでコーティングしたボンボン。マジパンにフレーバーを仕込んでガナッシュを重ねるという方法は、最近では珍しい表現の仕方ではなくなったが、マジパンをキャラメル仕立てにしたボンボンに出会ったのは初めて。マジパンに滑らかなキャラメルを加えることで、柚子の溢れ出るようなフレッシュな芳香を優しく包み込み、静謐な冬の恵みを教えてくれるようなしとやかな味わいに。ジャン=ポールが感じた、ヨーロッパと日本との繊細な出会いを伝えてくれるようで、クリエイションの新しさと同時に、表現方法の正確さに感激した。旬の柚子しか使わないので、期間限定の作品。私が年初めにパリのサントノレ通りのブティックに訪れた時には、すでに最後の6粒しかなく、全部買い占めてしまうのはさすがに気持ちが引けて、4粒を購入した。

 今、ジャン=ポールが興味を持っている次なる日本の素材は、紫蘇。そのフレーバーのボンボンが出来上がるのはいつになるかはわからないが、きっと喜びと驚きをもたらしてくれるような一粒になるだろう。

 ジャン=ポールは、日本でも様々なパティスリーを訪ねたり、味わったりして、日本のパティシエたちのクリエイションの質を高く評価している。

「味わいの世界に国境はない。大切なのは個人で、どのように表現していきたいかということ」と言うジャン=ポール。難しく言ってしまえば、哲学なしには人の心を打つことのできるクリーションは創れない、ということ。常に彼からは職人、そしてアーティストとしての姿勢を学ぶのである。


Jean-Paul Hévin
231 rue Saint Honoré 75001 Paris
Tel:01.55.35.35.96(国番号33

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2006年1月16日 (月)

#4 ジャン=ポール・エヴァン -前編-

Hevin1_1   2002年「新宿伊勢丹」内にショップをオープンさせて以来、ジャン=ポール・エヴァンの創るチョコレートのおいしさは日本の人々をも魅了している。広島、博多、小倉にも続々進出。さらには今年2月、青山に路面店をオープンするという。

 今年49歳になるジャン=ポールは、新宿伊勢丹に店を持つ前から、日本の他企業からたくさんの引き合いがあったと聞く。それでも、自分の納得する形でなければ、決してそれに踏み切りたくないという理想を追求し、やっと40代半ばで日本に店を出した。

 納得する形とは、ジャン=ポール・エヴァンの質をそのまま表現することのできる空間の創造と、パリと同じチョコレートのクオリティを約束できるか、ということである。日本から声がかかれば、すぐに応じてしまうシェフたちが多い中、絶対に妥協しないというポリシーを貫いてきたからこそ、変わらない評判を得ることができるのだろう。新宿伊勢丹内店の内装も、自らが考案したそうだ。4カ月ごとには日本に足を運んで、ショップを点検して回り、チョコレートやサービスのクオリティに厳しいチェックを入れ、時には戦うという姿勢も、彼の話から垣間見ることができて、頼もしく思う。
 
 最近は日本に頻繁に足を運び、日本の文化に深く触れ、感銘する機会も多いというが、軽々しく日本の素材を自分のクリエイションに取り入れることをしないのも、パーフェクトな仕上がりでないとよしとしない、ジャン=ポールならではの姿勢だ。

「もちろんチョコレート自体は、アフリカ、南米、カリブなどからと、世界中からフランスにやってくる素材です。しかし、それに合わせる他の素材を、わざわざまた遠い諸国から取り寄せることを喜びとするのには反対です。エクセシヴであってはいけないでしょう。基本的には、インターナショナルであることよりもレジョナル(地域的)であることが大切では。なぜなら、フランスもたくさんの食材に恵まれていますから、身近にあるものを使わないという手はない。これはという作品を創るまでにも、試作を重ねなくてはならないし、そのためにわざわざ高価な素材を取り寄せるというのは、物理的に難しいでしょう?」

 クリエイティヴィティに溢れる作品群の底力は、こうしたジャン=ポールのしっかりと地に足の着いた態度と職人気質なのだと、納得させられる。ベネズエラ産のチョコレートを中心にブレンドを重ねたガナッシュナチュールのボンボン「1502」やトリノ産クルミにミルクチョコレートを合わせたムース状の軽いボンボン「アナピュルナ」(写真)など、ジャン=ポールの創るクラシックチョコレートのシリーズが、いつまでも私たちの心をとらえて離さない秘密は、そこにあるのだ。

Jean-Paul Hévin
231 rue Saint Honoré 75001 Paris
Tel:01.55.35.35.96(国番号33

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2006年1月12日 (木)

#3 サダハル・アオキ -後編-

日本の素材を客観的にとらえ、クリエイションに生かす

Eclair  2001年、同年に『フィガロ・ジャポン』で連載していた「パリの甘いお話」と、『料理王国』2002年3月号「パティシエ101人特集」のため、相次いで取材をさせていただいた。
 
 2001年12月のオープン当初の店に並ぶパティスリーの写真を眺めると、今とはだいぶ趣が異なる。抹茶を使ったパティスリーもほとんどないし、そのフォルムも円形筒状が多いなど、今ではスタンダードとなった、あの細長い長方形のパティスリーはない。今はより研ぎ澄まされて、サダハル・アオキ独自のスタイルが確実に形成されたのだな、と感慨深い。
 
 店を開く前から抹茶のマカロンなどを作っていたが、オープン後、抹茶のマカロンを食べたあるお客から、「こんな日本の文化を伝えるようなお菓子をどんどん作ってほしい」と言われたのがきっかけとなって、日本の素材を取り入れたパティスリーを作るようになった。
 
 青木さんの味わいに対する指摘とクリエイションの方程式は的確だ。また、2004年の夏には東京・小石川の和菓子店「一幸庵」で研修をするなど、実践型のバイタリティには頭が下がる。
「日本では今まで、抹茶というと、地方の町おこし的なお菓子とか、庶民的なお菓子だけに使用されていて、いわゆる本物のフランスのパティスリーに取り込まれることはなかった。それに、和菓子とフランス菓子との壁が厚く、憚られました。ですが、自分は、フランスに住みながら日本の素材を客観的に見ることができました。フランスで抹茶を使ってみると、これが生きる。というのも、フランスのバターは発酵バターで、酸味がしっかりしているので、抹茶に含まれる葉緑素の味わいを、しっかりと包み込んでくれるのです」

 確かに、日本の無発酵バターのケーキに抹茶を合わせても、パンチのない平たい味わいになってしまう。ところが、青木さんの抹茶のマカロンやフィナンシエ、クッキーは、抹茶の繊細な苦みが深い味わいをたたえている。
 青竹のように美しいパティスリー「バンブー(仏語で竹)」もそうだ。ジョコンド生地に抹茶風味のシロップをしみ込ませ、チョコレートクリームと抹茶クリームを重ねた日本風「オペラ」だが、チョコレートに選んだのは、ほのかな酸味を持つエクアドルだそう。これもまた抹茶の風味を引き立てているのだった。

 青木さんは“日本人”というアイデンティティを持ちながら、フランスパティスリーの技術とフィロソフィを通して日本の素材を理解し取り入れ、パリで発表するという特殊なスタンスなので、そのクリエイションは、フランスや日本のパティシエは一線を画すると思う。

 彼のクリエイションを、挙げたらきりがないが、私が愛する、フランスと日本の架け橋になるような作品を紹介することで、青木さんのページを終わらせることにしようと思う。

 一つひとつ丹念に追ったら、きっと終わりがなくなってしまうから。


抹茶のミルフィーユ
パリッと焼き上がったフィユタージュをキャラメリゼし、抹茶風味のカスタードクリーム、抹茶パウダーで仕上げた。バターの甘く焦げた香りと抹茶のタンニンが優れた調和をなす。

柚子のタルト
卵とバターベースのクリームに、柚子の複合的な酸味が心地よい。

エクレア
黒ごまペーストたっぷりのクレーム・パティシエール入り、抹茶の色合いが鮮やかなエクレアの2種とも、サダハル・アオキのクラシック(定番)に。

チョコレートと小豆のクロワッサン
最近のクリエイションでも秀逸なものの一つ。小豆のペーストだけでなく、チョコレートを重ねることで、複合的な甘みに仕上がった。フィユタージュとの相性も抜群。

jam ジャムシリーズ
こちらも最新クリエイション。抹茶風味のミルクジャム、小豆入りのミルクジャム、洋梨と小豆の三種。特に小豆のジャムでは、コンフィチュール(果物、果肉、果汁を砂糖と煮詰めたもの)という観点が、日本の餡に重ねられていて面白い。






Sadaharu Aoki

35 rue Vaugirard 75006 Paris
TEL:01.45.44.48.90(国番号33)
56 bd. Port Royal 75005 Paris
TEL:01.45.35.36.80(国番号33)

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2006年1月 9日 (月)

#3 サダハル・アオキ -前編-

基本を理解して作り上げたレシピが、パリの人々を魅了する

Cake 青木定治さんに初めてお会いしたのは2001年。ご自分のお店を持たれる、という噂を聞いたのがきっかけだ。その2年ほど前に「面白いパティシエがいるから、一度会ってみて」と、当時『料理王国』の編集長だった君島佐和子氏が私に名刺を託してくださっていて、それをたよりに連絡したのである。
 
 その頃、サンジェルマン・デプレ教会裏にあるベルギー高級インテリアショップ「フラマン」内サロン・ド・テにパティスリー類が搬入されていて、評判も聞いていた。パリ・コレクションでも、シャネルやクリスチャン・ディオール、ヨウジ・ヤマモトなどからパーティの仕出しを特別に頼まれていた。
 
 私が初めて味わったのはピスタチオ味のフルーツケークである。しっとりと口溶けのよいピスタチオ風味の生地には、特製のドライフルーツのキルシュ酒漬けがたっぷり詰まってる。イチジク、洋梨、プラム、アーモンド、クルミなど、選び抜いたさまざまなドライフルーツと木の実をキルシュ酒に漬けて1カ月以上ねかせたもので、一度、当時13区にあったアトリエにお邪魔した時、倉庫にねかせたそれを、いとおしいように見せてくれた。その熟成した深みのある味わいと、ピスタチオの香りも口当たりも繊細な生地とのハーモニーといったら・・・・・・。一度味わったら忘れられない豊かな味わいのケークだった。
 
 それから4年。パリには2店舗目をポール・ロワイヤル大通り沿いにオープンし、東京にも進出。プロジェクトはとどまるところを知らない勢いだ。
 
 青木さんの強さは、このケークに凝縮されると思う。もちろん、フランス人が愛する彼のスペシャリテは、日本の素材を使用した抹茶のエクレアやミルフィーユ、胡麻のエクレアだったりする。
 しかし、エクレアならシュー、ミルフィーユならフイユタージュと、“焼き菓子(生地)をいかにおいしく作るか”という菓子作りの基本中の基本を理解し、自分のレシピを作り上げているからこそ、アレンジが見事に生きる。青木さんを強く支持する「ギャラリー・ラファイエット・グルメ」ディレクター、ゴデュ氏や、ニツ星レストラン「アストランス」のバルボー氏も同意見。だからこそ、美食の国の人々の味覚に響くのだ。

Sadaharu Aoki
35 rue Vaugirard 75006 Paris
Tel:01.45.44.48.90(国番号33)
56 bd. Port Royal 75005 Paris
Tel:01.45.35.36.80(国番号33)

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