2009年5月29日 (金)

【新潟】目指す理想の卵とは

1 当店のお客様には、和洋中のシェフやパティシエといった「食のプロ」の方をはじめ、ご自身やご家族の方の健康を考えて卵を選択される方など、それぞれが理想とする卵像を持った方が多くいらっしゃいます。例えば、卵黄色の濃淡、味の濃さ、卵のコシ、アレルギーの出ない卵などなど、その思いは千差万別です。

しかし、お客様全てに対し、その想いをかなえた卵を提供することは、現実的ではありません。それではいったい何を理想とし、提供するか。それは、卵というものが自然界においては、本来どうあるべきなのかを考えること。トマトや柿の実が、赤い色になるのには理由があるように、卵黄や卵白には本来どんな意味があって、それに近づけるにはどうしたら良いか、に対する作業の繰り返しです。この答えを見つけるために、今日も鶏たちと一緒に笑い、喧嘩もし、時には嫌われたり慕われたりと、悪戦苦闘の毎日です。
ドッグイヤーならぬ鶏時間が存在します。鶏らしい毎日の積み重ねが理想の卵の第一歩

この答えが見つかった時、空気や水を何の抵抗も無く受け入れるように、誰もがその卵を必要としながら、当たり前のようにスッと体に受け入れてもらえる、そんな卵を提供することができると思っています。まだまだ道のりは遠そうですが、いつかどこかで皆さんにお披露目できる日が来ることを願って、1年間のブログを閉じたいと思います。ご愛読ありがとうございました。(富樫直樹)

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2009年4月20日 (月)

【新潟】食事の黄金率

Sakuramasu 「本来人間は、何をどのような比率で食するのが理想か」。先日偶然聞いたラジオから、こんな非常に興味深い話が流れていました。それによると、人間も地球上に暮らす生物、と捉えて考えると分かりやすく、具体的には、身の回りにある食べ物の存在割合と入手のしやすさを、そのまま食べる割合にするのが最善だというのです。
桜が咲くころに獲れることからサクラマス。さばいた身も綺麗な桜色。今が旬で脂の乗りも十分

そうすると、日本の風土からすれば保存のきく米などの穀類を主とし、基本は野菜食という昔ながらの「日本食」が、なるほど食事の黄金率(理想)であることを、平均寿命の長さがそれを示しているのだと、ひとり納得していました。逆に肉などは、狩りを行い獲物が手に入った時にしか、食べることができない食材になるわけですから、たまに食べる程度でも良いことになるのでしょうか。いずれにしても、季節ごとの「旬のもの」を食べるということは、すなわちその時々に入手しやすいもの、豊富にあるものを食するということですので、まさに理にかなう食習慣ということになるのではないでしょうか。

ちょうど季節は春。これから、海も山も新たな生命の息吹を感じさせるものが、次々と旬を迎えます。旬の食材は、値段も手ごろで入手しやすく、なおかつ美味しいとなれば、それらを大いに楽しみ食さない手はありません。ただし、その時には私たち人間も、食物連鎖の環の中に、入れてもらっていることへの感謝を忘れないようにしたいものです。(富樫直樹)

Sakuramasu2

焼いたサクラマスは、大根おろしとお醤油でいただきます。当地では春の味覚の王様です。

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2009年3月25日 (水)

【新潟】香りという鍵

1_2「プルースト現象」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。小説「失われた時を求めて」の中の描写から、その作者マルセル・プルーストの名に由来する言葉です。昔、庭先で飼っていた鶏の卵を焼いた香りと、当店の放し飼い鶏の卵を焼いた時の香りが同じで、思わず幼少年期を懐かしく鮮明に思い出した、という話をよくお客様から伺うことがあります。このようにある特定の香りが、それにまつわる記憶を誘発する現象を、プルースト現象と呼ぶようです。毎日自分が生産しお届けしている卵が、その香りと味によって、お客様の忘れかけていた遠い記憶を呼び起こし、時には半世紀以上の時間を越え、古き良き時代にタイムスリップさせてくれる、こんなすばらしい現象のきっかけを作っているということに、改めて驚きと喜びそして責任を感じています。
トロトロの、プレーンオムレツにポーチドエッグ。どれも手間をかけない分、素材の味と香りが決め手。一番のオススメは、天然のお塩だけでどうぞ!

嗅覚により想起される記憶が、視覚や聴覚、味覚といった他のどの感覚よりも正確で情動的であるといいます。今日、私がお届けした卵を調理しているときの香りは、それを嗅いだ子供たちの記憶の引き出しに、何と一緒にしまわれるのでしょうか。半世紀後でも、その引き出しを開ける鍵が数多く存在していますように。そして楽しい思い出がいっぱい、いっぱい溢れ出ますように…。(富樫直樹)

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2009年2月27日 (金)

【新潟】まず食育すべきは…

1 毎年地元の小学生が、校外学習で鶏舎を見学に来ます。多くの放し飼いにされている鶏が、一斉に駆け寄ってくる姿を見たり、産みたて卵の温もりを自分の手に取って感じたりするうち、初体験の驚きに子供たちの目が輝きだすのが分かります。そしてその子たちに私はいつも、目の前の鶏が最後はどうなるのか、を必ず話すようにしています。
鳥インフルエンザが国内で発生する以前には、鶏舎の中で鶏たちの様子を観察できる機会も作っていました。現在では全く実施できないのが残念。

「かわいそう」という声もありますが、「鶏だけでなく、牛や豚、魚も植物もみんな同じ。人間は他の生き物の命をもらわなければ生きていけない。料理を食べる時には、その気持ちを思い出し、感謝して残さず食べてほしい」というような話をします。実際に食生活が変わる子どもが、どの程度いるかは分かりませんが、学校の給食や家族で食卓を囲む時、この話を親や友人、先生にすることによって、周りの人の意識も変わって欲しいのです。

味覚や嗜好、配膳の仕方や箸の持ち方など、幼いころの食に関する習慣が、その後の人生に大きく影響するといいます。この習慣を伝えていく基本は家庭なのですが、核家族やそれに伴う個食などにより、十分に機能しているとはいえず、学校でも授業時間の確保に、給食の時間が犠牲になっているなど、随分と大人の都合が優先されているようです。

まず最初に食育すべきは、私の話をじっと聞いている目の前の子供達よりも、実はその後ろにいる「先生や保護者」なのかもしれません。(富樫直樹)

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2009年1月28日 (水)

【新潟】凛とした空気の中で

Syougatusama_2当地には、まだ古き時代の格式やしきたりなどが残っていますが、特に年末年始は、その寒さと普段の生活とは随分と違った習慣や食によって、改めて凛とした空気を感じる数日間となります。その一例として、我が家の大晦日は、男衆(家長もしくは長男)の手によって、しめ縄や掛け軸の準備から始まる「正月様」を飾り、夜には神様とお地蔵様のお膳を供え、家長から順に拝んだ後、床の間のある奥座敷でお神酒をまわして年越し納豆を食べる、というのが習慣として続いています。
準備が整った正月様。向かって左のお膳が神様用で右がお地蔵様用。神様には鮭が供えられますが、お地蔵様は精進料理となっています。

元旦は、茶の間の囲炉裏に炭をおこし、男衆が汲んだ若水で雑煮を作り食べるのですが、家の敷地内にあった井戸もなくなり、炭での煮炊きも最近は敬遠気味。それでも、雑煮は我が家の放し飼い鶏の肉と椎茸で出汁をとり、人参、牛蒡、ねぎ、油揚げ、からとり芋の茎などが入った昔ながらの醤油味。副菜もぜんまいの煮物や赤かぶ漬け、鮭の塩引き、わさび漬けなどといった地元の食材を使ったシンプルなものばかりです。

Nanakusaそして七草。世間一般には七草がゆで胃腸を休めるといった風習ですが、こちらは「あんこ餅」。神様にお供えした餅を切り分け焼いたものを、小豆餡(つぶあん)に入れていただくのです。こうして独特の空気感とともに、これまでもそしてこれからも親から子へ、自分が生まれ育った地の習慣や食といった「文化」が伝えられていくのです。(富樫直樹)
お供えの白い餅以外にも、栃の実で作った「栃餅」も入れるので、栃の香りと苦味がほんのりと感じられ、これが小豆餡の甘さと溶け合い絶妙な大人の美味しさです。奥の魚は塩引き鮭です。

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2008年12月22日 (月)

【新潟】滋養と金運アップの寒卵(かんたまご)

Tamago1 今年も残りわずか。本格的な冬の到来に、我が農場の鶏たちは放し飼いの環境からちゃんと季節を感じ、秋の猛烈な食欲によって蓄えた脂肪と、ふかふかの綿毛を身にまとい、毎年冬の間落ち着いた様子で、寒さを楽しむかのようにいい卵を産んでくれます。

古くから日本では、二十四節気の小寒から節分までの「寒」の時期に産んだ卵を寒卵と呼び、短歌などでは冬の季語となるほど、滋養に富んだ希少で重要な食材としていました。

しかし、食生活の変化から、いつしかその呼び名や効用が忘れ去られ、なかば死語となっていましたが、数年前風水で金運アップの効果があるとされてから、寒卵が一躍脚光を浴びることとなりました。その中でも、大寒の日に産卵した「大寒卵」は、特にその効果が高いらしく、まだ暑い時期から予約をされるお客様もいらっしゃいます。効果の程はともかくも、生産者として品質のいい時期の卵を喜んで買っていただくことに感謝ですし、「金運アップ」というフレーズによって、卵を手にする皆さんが笑顔になり、卵そのものを意識して、美味しく召し上がっていただくきっかけになっていることを、嬉しく感じています。

Tamago2ただ、その卵を産む目の前の鶏たちは、金運など全く関係のない世界で、毎日を一生懸命生きています。大晦日も元旦も、いつものように卵を産み、いつもの時間に外へ出してくれるようにせがむ姿に、ちょっと心は複雑です。(富樫直樹)

鶏たちは、数ある巣箱の中から思い思いの「お気に入り」の巣箱を見つけ、ほとんど同じ場所で産卵するようになります。

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2008年11月21日 (金)

【新潟】家庭菜園で実るもの

200811_1 家庭菜園が年々盛んになってきていることは、農業を営む側としても、非常に喜ばしいことだと考えています。自らの手で耕し育て収穫することで、実りを得るまでの困難さと喜びを肌で感じながら、自らの食育に始まり地球上における人間の立場を知る、などといった大きなテーマについて少しでも考えてもらえるのではないか、そう感じられるのです。

最初は、家庭菜園で実った野菜と、店頭に並ぶ野菜とのあまりの違いに驚き、プロの技術に一種の尊敬と憧れが生まれ、その領域に近づきたいと願うのではなでしょうか。しかし、年数を重ねるうちに、なぜまっすぐでなければならないのか、なぜ全く虫食いの跡がないのかなど、自分の苦労と重ね合わせては、自分には必要のない規格や、不自然さも見えてくるのではないかと思います。均一の品質を保持するためには、それ相応の基準は必要と思いますが、一方で基準を満たさない実りの廃棄や、基準を満たすための努力のコストもまた、その食材の価格に反映されているのです。

自然からいただいた恵み全てを、目的に応じてそれぞれが活かそうとする環境が構築できれば、消費者はより安全・安価な幅広い食材の選択が可能になり、生産者は市場価格や作柄などに翻弄され、生産調整という名の「天への裏切り」に涙することも、随分と少なくなるのではないでしょうか。そんな実りを家庭菜園が結んでくれそうな気がするのです。(富樫直樹)

写真:農家自らの食卓に乗せる野菜。収穫のポイントはもちろんその野菜が出す
「食べごろサイン」。この日は辛味のない南蛮料理が主役です。

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2008年10月22日 (水)

【新潟】好き嫌いはわがまま?

Kariire オリンピックの中継で一番興味を持ったこと。それは一流アスリートの中にも、意外と偏食の人が多いことでした。野菜を全く食べなかったり、お菓子を主食にしていたり……。何事も好き嫌いは、その対象のせいではなく、自分の都合だといいます。食については豊かな日本。好き嫌いの理由は、確かに「わがまま」が、かなりのウエイトを占めるのでしょう。

しかし、ある食べ物を体が受け付けない、もしくは食べる気が起こらないという反応は、本来ならば、危険を察知し避けるという、人間の本能によるものではないでしょうか。
例えばピーマン。子どもたちが嫌うのは、食べるとそこに苦味を感じるからです。苦味とは「毒を示す信号」であり、それを摂取し続けることは、命に関わることだと本能は教えます。だからこそ、嫌うのです。しかし、この苦味への警鐘は、知能と経験という新たな武器によって、次第に「安全で美味しいもの」という認識に変化していきます。あえてその苦さを嗜むということ。それは果たして進化でしょうか、それとも退化でしょうか…。

自分の身は自分で守る。生物にとって最も基本的な能力です。しかし、昨今の食に関する様々な問題を考慮するに、人間は天敵のいない種であるがゆえ、その能力を最も疎かにし、最も衰退させている気がします。
私は、食べ物を最初に作り出す現場にいます。そして、どんなに空腹でも、釣り人が捨てたフグは絶対に口にしない空を舞うカモメたち、彼らと同じ空気を吸いながら、「おとぎ話のようなニュース」を聞いているのです。(富樫直樹)

お茶碗一膳分に相当する水田の面積は、新聞紙を広げた全紙ほど。一粒のお米も無駄にしないよう、刈り取りにも細心の注意を払って収穫したお米。今日も誰かの空腹を満たしています。

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2008年9月29日 (月)

【新潟】作柄と薫り

Potiron 実りと収穫の秋。「コシヒカリ」の新米ももうすぐです。このままいけば、作柄も収穫量も例年以上の期待ができそうです。コシヒカリも植物ですから、育った田んぼや作柄によって毎年味に変化があるのですが、皆さんの食べているお米はどうでしょうか?

当店の卵も、親鶏たちが季節によって食べる緑餌などが違うため、四季の移ろいとともに味も変化していきます。これには、鶏の自然な日々の営みが前提にあります。
どんな食材にもワインのように、「何々産の何年ものはぶどうの出来が良くて美味しい」というような話があって然るべき、と私自身は考えているのですが、均一な品質が食材に求められているためか、最近はそういった感覚を普段の生活の中で覚える場面や情報を耳にする機会が随分と少なくなっているような気がします。
確かに、口にする食材の生産履歴、例えば農薬使用の有無などの情報は重要だと思います。しかし、それと同時にその食材から、育った環境の「薫り」を感じることができるということも重要なのではないでしょうか。

その食材が持つ薫り。それには、生産現場の日々の積み重ねが凝縮されています。自己主張する美味しい薫りを備えた食材と巡り合えた時、その食材の育った風土や生産者の人柄など、薫りの奥に隠された様々なスパイスに、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。(富樫直樹)

写真は鶏用に確保してあるかぼちゃ。8月は青い葉と茎がメインデッシュで、9月は主に実を食べさせます。これだけでも卵の味や色に変化が現れます。

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2008年8月27日 (水)

【新潟】 食事とストレス

200808_1 放し飼いで鶏を飼育するために最も気をつけていることは何ですか? という質問に対し、私は「ストレスです」と答えています。人間に比較すれば体が小さい分、些細なストレスで命を落とす鶏がいることは、私達養鶏業者にとってはさほど珍しいことではありません。ストレスを蓄積しないよう、屋外にも自由に出て遊ぶことができるようにしているのを始め、様々な飼育環境の工夫は、ストレスを溜めないようにとの考慮が根底にあります。しかし、餌を与える時には、「いつでも自由に餌を食べることができる環境」だけでは、かえってストレスが溜まってしまうのです。
鶏たちに与えているのは、かぼちゃの葉と茎。畑から取ったままの状態で与えます。毎日食べているので一斉に駆け寄ってきます。

根や土がついた状態の野菜や山野草を与えることによって、簡単には食べることができないというストレスがかかると、本来鶏が生きていくために備わった「機能」がフル回転し、葉をくちばしでちぎり、硬い茎や果実はつつき、根の土を足で落としながら虫を探すなど、食べる行為に全神経を集中させることで、ストレスの発散が図られるのです。

200808_2 お金を出せばいつでも何でも手に入り、簡単に食すことのできる現在の日本の食環境。私達にとってこの何不自由のない食環境が、かえってストレス社会を増幅させているのかも知れません。果たして、自分が生きていくために、五感を集中させ、空腹をもって美味しく「いただいた」最後の食事はいつだったか、あなたは思い出せますか。(富樫直樹)
外の遊び場で、金網越しにかぼちゃを食べています。実が美味しいのを知っているからこそ、柔らかい葉よりも先に硬い実を食べるのです。

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2008年7月25日 (金)

【新潟】 雨は憂鬱? それとも・・・

20080707_3_2 「雨は気分を憂鬱にさせる」とよく聞きますが、私の場合は「雨の日は気分が落ち着く」と感じています。梅雨空が好きなわけではありませんが、何かホッとする静寂を感じるのです。たまには雨に打たれ、ずぶ濡れになってみる非日常的な体験なども、結構気持ちのいいもの。飼い主に似たわけではないでしょうが、鶏達だって雨の日は随分と静かに過ごし、巣箱などでキズかついてしまう卵の数も、晴れの日よりは明らかに少ないのです。

今年の新潟は、梅雨入りからの6月中、ほとんど雨らしい雨が降りませんでした。コシヒカリに代表される稲作や畑作の作柄はもちろん、関係が薄いと思われがちの漁業でも、今が旬のイカが例年よりも小振りなのは雨が少ないから、と漁師さんは言いますし、新潟の夏を代表する海のミルク「岩牡蠣」の育ちにも影響してきます。

農業を始め、自然相手の職業人は、お天気に文句を言ってはならないと、昔から言われています。自然の中で暮らし、自然の力を享受する。今日の雨も恵みの雨であるはずです。今降っている雨が、きっとどこかで美味しい素材を育てていると思うと、何だか気持ちが前向きになるような気がしませんか。
これからの雨の日。かえって気分がソワソワしてしまうでしょうか。(富樫直樹)

雨の日。手持ち無沙汰な鶏たちは、作業の様子を興味深そうに見にきます。(作業している人がかぶっているのは、当地方独特の女性用農作業帽子「ボシ」)

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2008年6月25日 (水)

【新潟】 卵を産む鶏の「生」は本来寿命の8分の1。

日本には、柔らかくてジューシーな肉や、脂ののった魚が年間を通して流通しています。皆さんは、その目の前にあるおいしい食材となった、家畜や魚などの寿命を意識したことがありますか。美味しさの代償として、生き物本来に備わった寿命と、家畜や養殖の魚としての寿命には、大きな差が存在します。卵を産む鶏も例外ではありません。

本来雌鶏は、約1000個の卵を産むことができる、卵胞(卵黄の元)が備わっており、10年程度の寿命といいます。しかし家畜としては、一般的に生後約420日から450日程度で廃鶏として処分されてしまいます。生後約120日過ぎから卵を産み始め、まだ260個程度しか産卵していないのに、です。

1080617その最大の理由は、「経済的効率」。卵は物価の優等生といわれる陰で、より少ない量の餌でより多くの産卵をするサイボーグのような鶏が創り出され、狭い土地で効率的に飼育できるケージ(金網)飼い手法が確立されるなど、人間本位の「生産性の向上」を強いられてきました。これらの要因を積み上げた、「経済効率の限界点」が生後450日なのです。
何も知らない鶏たちは毎日、一生懸命「生きて」います。家畜としての鶏がいてこそ、私達人間は卵を手に入れ、食べることができるのです。今朝食べた卵は、その鶏が最後に産んだ卵かも知れません。目の前の卵料理、今のあなたならどうしますか。(富樫直樹)

写真:廃鶏として処分される鶏。自分の運命を悟ったかのように、じっとこちらを見る目が透き通っていました。

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富樫直樹:1961年、新潟県生まれ。家の前に広がる日本海と、裏手の水田や山々が生業の基本の地に育ちました。大規模企業養鶏が闊歩する中で、あえて効率の悪い放し飼い手法により、鶏が持つ野生の力を呼び起こすことで、人間の体が自然と受け入れる卵を試行錯誤で探求中です。
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